「俺は牛飼いだから・・・」(1)
「家畜は、産まれた時から悲しい生き物・・・」
そう語ったのは、福島20キロ圏内ギリギリの南相馬市で、放射能の危険に晒されながらも、30頭ほどの牛と共に暮らしている畜主さんの言葉です。
電気が止まり、水が止まり、誰もいなくなった町、南相馬市・・・。
「産まれた時から運命が決まっている生き物。だからこそ、その役目を存分に全うさせてやりたい・・・」
そんな想いが、畜主さんをこの地に留まらせています。
この30頭の牛たちは、震災がなければ、食肉用として市場に出荷が決まっていた牛だといいます。
畜主さんは、避難勧告を受けながらも南相馬市に留まり、手塩にかけた牛たちと寝起きを共にしているといいます。
畜主さんは、取材に来たテレビに対するコメントで以下のように語りました。
「牛を見殺しにはできない・・・牛は家族です。牛の寿命が先か、資金が底をつくのが先か・・・。それでも最後まで牛飼いを続けます」
そして畜主さんは、目に涙を浮かべながら、黙々と牛の背を撫で続けます。
「可愛がってきた牛を食肉になるのを知っていて出荷するのは苦しい。それでも、生活が掛かっている以上、それも仕方がないことと自分に言い聞かせて納得してきた。それが、たかだか放射能で、本来の目的とは違う死なせ方をしたくはない。役割を果たさずに、みすみす殺さなければならないのは納得がいかない!!」
「俺は牛飼いだから・・・」(2)
出荷停止になってしまった牛を前にして、畜主さんの言葉は淡々と続きます。
「もう牛は出さなくていいと言われたとき、自分がやってきた全てが無意味になったと感じた。絶望のどん底に落ちた・・・だからといって、この牛たちに安楽死はさせたくない。研究目的に使用するなら喜んで協力します。最期は老衰自然死を望みます・・・」
そして、被災した南相馬市に対しては、以下のような思いを語っていました。
「絶望の条件を挙げれば片手では足りない。放射能に汚染され、もう子供も親も、きっと戻ってはこないでしょう。それなら最期の希望は、原発被害の生き証人として、牛たちと共に生きたい。東電と国には補償を求めていくつもりです。可愛がってきた牛を無理やり殺すなんて、どう考えてもおかしい。いっそ、この手で殺してやりたい・・・」
「他人から見たらオカシイと思うでしょう・・・それでも、ここで死ぬと分かっていても、自分は最後まで牛と一緒に居たい!俺は、牛飼いだから・・・」
自嘲気味に笑った畜主さんの顔がなんだか切なくて、やるせない気持ちになりました。
改めて、災害の悲惨さを見せつけられた瞬間です・・・。